cucin amica

8月15日。

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「出産予定日は8月15日ですね。」
約4年前、産婦人科で妊娠が判明した日に先生が言った。
8月15日。終戦記念日かぁ。
その独特な日に我が子を迎えることをぼんやりと考えた。

結局予定日より数日早く産まれ、
8月15日は終戦記念日のままとなった。


鹿児島に祖父母を持つ私にとって、
戦争は神風特攻隊に深くつながる。
兵隊として参戦した祖父は痴呆が始まる寸前まで、
戦争の話をすることはなかった。
知覧の神風特攻隊記念館に行く時も、決して中には入らなかったし、
開聞岳を見るのを嫌がった。

私はまだ幼くて、あの時の祖父の気持ちを知るのはずっと先になってからだが、
今の憲法改正案を知ったら、祖父は私にどんな胸の内を話してくれただろう・・と思う。
「伝えて行かなければいけないのに、口を開けても言葉が出ない」
昔、祖父はそう言った。

弾けるような若さと、眩しいくらいの笑顔を特攻機に乗せるしかなかった時代。
死んでいった者は無念を抱え、生き残った者は情けなさを抱える。
戦争って、なにひとつ希望を見出さないものだ。

毎日をキラキラと過ごす凛太郎を見て、
「これからもっと眩しい青春が来るんだな。青春なんて甘酸っぱいぜっ」と、
ふざけて笑っていたけど。
本当に青春が来るんだろうか。
と、ザワザワした思いになる。
もし凛太郎の青春が特攻機に乗ることになったら。


戦争の事を思う時、いつもこの方の詩を思い出す。
茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」だ。



『わたしが一番きれいだったとき』

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

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私が一番きれいだったときは(あったかわからないけど~)
きっと若くて若くてただただ楽しかった頃だと思う。
そして、それを持てたことはしあわせなことで、
当たり前の事ではないのだと、茨木のり子さんが教えてくれた。

今を生きる私たちに平和な青春があったように、
これからを生きる子供たちに、みな平等に。
絶対に絶対に眩しい青春がありますように。




8月15日は、私が嫁いだ地域ではお盆の送り日。
提灯の灯をご先祖様の御霊に例え、盆棚の灯を移しお墓に送りに行く。
今年は凛太郎も提灯持ちを出来るようになり、
灯を消さぬように慎重に歩く。

親族が墓前に揃い、「気を付けてお帰り下さいませ。」そう言って灯りを消し、
静かに手を合わせる。
送り日と終戦記念日。
たくさんの尊い命の冥福と共に平和を願う。


そして。
憲法改正絶対反対!!
戦争を知らない老い先短いクソじじい達に未来を決めさせてたまるものか!
と、心底思う8月15日なのだ。












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